書評:マイケル・チャーチ『グリーン神父のギャンブルの旅』

 

(原書:The Gambling Adventures of Father Green by Michael Church)

信心深い人たちにとって、ギャンブルは最大級の罪です。しかし、グリーン神父にとってギャンブルは、違う意味をもっていました。究極の救いについて語っている本をお求めなら、この本はちょっと違うかもしれません。

マイケル・チャーチは性質の異なる真逆の事柄を一冊の本に詰め込んでいます。物語全体を通じて、グリーン神父は二つの人格を見せています。神への献身を誓う神父は、罪深きギャンブルにはまっていたのです。

少し非現実的で風変りに思えますが、聖職者といっても生身の人間であり、使命から逸脱することがあることを教えてくれます。

あらすじ

先に述べた通り、グリーン神父は二つのことを追求しています。全能の神に仕えることと、賭けで勝つことです。一つのまとまった物語ではなく、18のフィクションで彼の人生を描いています。彼はロンドンのイーストエンドに住んでおり、聖職者でありながら、あらゆるギャンブルにいそしんでいます。つまり、くじ、カードゲーム、グレーハウンドレース、競馬などです。

ギャンブルが常習化し自制が効かなくなったため、グリーン神父は神学校の学長から、休みを取って神からの使命についてよく考えるよう言われます。彼はそれを真摯に受け止めて旅に出ますが、難しい選択やドキドキする状況にも直面します。実際、クルーズ船でのロマンスなども描かれています。

『グリーン神父のギャンブルの旅』は、全体に軽い読み物なので、集中を要する本からちょっと離れて、気を抜くには丁度良いでしょう。一方、もっと真面目で意味のある本を読みたいという人はパスしたいところです。ギャンブルと信仰の相関関係について深く語っているわけではありません。物語の結末については触れませんが、読者が期待するようなものではないと思います。

作者はこの本を発表する以前は、ダービーの公認記録紙である「レーシングポスト」(日刊新聞)に勤めており、度々自身の賭けの成績を記事にしています。彼にとって『グリーン神父のギャンブルの旅』は初めてのフィクションへの挑戦でした。彼のスタイルはシンプルで、登場人物は親しみやすく、冒険や劇的事件はありません。全体を通して、穏やかなユーモアがあり、楽しく読めます。

と言っても、お伝えしておきたいのは、軽い読み物ではあるけれど、読むのを止められなくなるストーリーだということです。

作者がこのテーマを選んだ理由は?

ギャンブルが習慣化すると、自制心の弱い人にとっては危険です。また、キリスト教は様々なことを罪と考えており、ギャンブルもその一つです。作者は、最も純潔が求められる職にありながら、ギャンブルに取りつかれた聖職者を描くことで、私たちは皆人間だということを言いたかったのだと思います。

人は皆欠点があり、過ちを犯し、キリスト教の教義から外れたこともいろいろします。結局のところ、人は罪を犯す生き物なのです。